Yoshikawa Mae from India 吉川めいのほぼ月イチ インド発見記
[01月]循環を感じる
新年明けましておめでとうございます。
一年が終わり、また新しい一年の始まりですね。こういう時、みなさんは新しいチャプターの始まりを感じますか?

ヨガをたくさん勉強したり、インドで多くの時間を過ごしているせいか、いつの日からか私はあまりこのような節目で「終わり」や「始まり」を前ほど感じなくなりました。それがどういうことかと言うと、ヒンズー文化では輪廻転生の考えが表している通り、「節目」以上に「循環」が強調されているのだと思います。

生と死の境を区別する以上に流れるように捉える輪廻の考えは、大いなる命の循環を指していますが、インドでは日常的なレベルで、左手と右手の使用方法でも循環を感じられるのです。

インドでは左手が「不浄の手」とされていることは、みなさんご存知の通りです。食事を手でいただくインドでは、テーブルマナーとして右手のみを使い、左手をテーブルの上に出すことはありません。左手をおトイレの際に使うこともよく知られていますね。このことは特に私たちの文化からしてみると少し驚きでもあるのですが、インドで多くの時間を過ごすようになってから、私はこのような作法を、単に手の役割分担として捉えることに違和感を抱くようになりました。

インド人は、トイレ以外にも鼻をかむ時やくしゃみの際に左手を使います。要するに、体からものを出す時には左手を使い、食事やグル(恩師)の存在に触れたり、聖典を読むなど、何かを自分の中に入れる時には右手を使うのです。そこには循環があり、単なる役割分担ではないのです。そう捉えるようになると、右で入れて左で出すという循環はとてもナチュラルに感じるもので、むしろそのような流れもなく、食事の際に両方の手を使ったり、フォークや箸などの道具を使って口に持って行くことの方が不自然に感じられたりもするものです。

ちなみに、私が勉強している伝統的アシュタンガヨガのメソッドでも、決まって右足から先に組んだりするポーズがあります。基本ポーズであるパドマーサナ(蓮花座)がそうなのですが、左右を均等にするために足を組み替えたりはしません。ヨガの練習においても体内エネルギーの循環が的確に、そして徹底的に尽くされており、形のみのこととは違うのです。