Yoshikawa Mae from India 吉川めいのほぼ月イチ インド発見記
[02月]Hari OM
インドの挨拶と言えば「ナマステ」が有名ですよね。
ナマステの丁寧語は「ナマスカーラ」。
「NAMA」とは「私を捧げる」という意味の語源からきていて、
あなたの中の神性に私を捧げます、という意味が含まれています。

雑誌『Yogini』のエッセイで、以前インドの神様について少し触れたことがありますが、ヒンドゥー文化における「神様」の存在とは、宗教的な意味で崇拝されるお寺や神棚だけの存在とは少々違います。ヒンドゥー文化における「神」の存在とは、すべてに浸透する崇高なものであり、それは究極的な愛や真実とも同様だという考え方があります。また、このような最も神聖なものは本質的に限りのないものであるだけに、姿形を持たないものとして理解されています。

つまり、逆に姿形のある「神」の存在(偶像やマントラの響きなど)は、姿形のない崇高な神性のシンボルとして扱われているのです。それは、姿形あるものにばかり意識を奪われる人間の習性があるからこそのことなのです。人々がこのような世の中においても目に見えない「神」の存在を覚えやすいようにと形を与え、名前を与え、拝みやすいようにしているのです。

「ナマスカーラ」に合わせて、私が大好きなインドの挨拶と言えば、「HARI OM 」(ハリオーム)。
私のヨガクラスやリトリートに参加したことのある方は、私がよく口にするこの言葉を耳にしたことがあるかと思います。

「ハリオーム」とは、「HARI」そして「OM」という二つの言葉でできています。
「HARI」とは、保守の神ヴィシュヌ神の別名であり、「OM」 とはサンスクリット語で最も神聖とされている響きです。
「OM」という響きはすべてのマントラの内最も古く、またすべての音の源であると言われています。

私は、純粋にこの「HARI OM」という言葉の響きが大好きで、口の中でも耳の中でも、胸の奥でもとても気持ちよく感じます。挨拶にも神の響きを使うとは、何ともインドらしい信仰心の表れでもあります。