Yoshikawa Mae from India 吉川めいのほぼ月イチ インド発見記
[06月]SLUMDOG Millionaire
インドを舞台にした話題の映画「スラムドッグ・ミリオネア」(http://slumdog.gyao.jp/)みんなはもう見ましたか?今年のアカデミー賞を数多くとって欧米ではものすごい人気でした。

首都デリーに続く大都市であるムンバイのスラムの子供たちがテーマになっていて、人気テレビ番組「ミリオネア」にかけて夢溢れるラブストーリーを描いている映画です。貧しい子供たちのめげない元気と輝く目、混雑の中入り交じる貧困と豊かさ。インド独特のネオンのように明るい色合いなど、今にもスクリーンを通して匂いが漂ってきそうなほど、この映画はとても良くインドのスピリットをつかんでいると思います。

インドには、日本の私たちが共有するような秩序というか、生活上の整理整頓があまりありません。公共のバスや電車の出発は平気で何時間も遅れることがあるし、かと思うと出発時刻より早く出てしまうこともある。先が読めず、正に「カオス」というのが一番素直かもしれない。異常なまでに整っている日本の現実しか知らない人には想像しがたいけど、それでもインドにはインドなりの流れがあり、毎日インド並みに日常生活が繰り広げられています。

映画の中で一つの大きなテーマになっていましたが、インドには「物乞い」という職業が存在します。正直いうと、日本からインドを訪れた私にとって物乞いを職業にしている人たちとは信じがたかったし、大好きなインドの中でも最初のうちは唯一受け入れがたかったことかもしれない。




日本は、何て言ったって「恥」の文化だと思う。人前で恥ずかしいことはしてはならないという感覚が一般的に当たり前。だから集団から外れることをする人は少ない。しかしインドでは汚いとされるものもきれいなものも、貧しさも豊かさも、生も死も、食も排泄も、すべて公にある。女性も男性も、普通に人前でゲップするし(特に「失礼」と言う文化もない)、男性の立ちションや子供が道端で大便をしていることは日常茶飯事。「恥」というコンセプトが存在しないから、物乞いだって普通のうち。

物乞いの人たちは、ただ座って手を出す人もいれば、つついたり服の端を引っ張る人、赤信号で止まっている車の窓の前でアピールする人と様々。他の人から与えられるお金を頼りにしているということは、より効果的に物乞いするために工夫もする。映画でもあったように、大人は子供を利用し、障害者は障害を利用する。しつこいのは当たり前。時にはハラスメントではないかというほどアグレッシブなことも。それで成功しているから、そうなるのもしょうがないのだろう。

例えば、障害者の物乞いにお金の代わり義足をプレゼントしたら、翌週には彼はその義足を売り飛ばして、障害を持った身で物乞いに戻っていた、という話がある。それはインドでは決して驚くような話でもない。なぜなら、彼にとってはその方が儲かるのだから。

ヨガの練習生として、私は何か勘に障ることがあると、単に「嫌」とかそれを軽蔑する態度を選ばず、自分に「なぜ私はこのことやこの人に対してこんなに反感を持つのだろう」と問うようにしている。そういった形で、インドで出会った物乞い文化は、私にとってとても価値の深い気づきと学びにつながった。

彼らは、これほどまで貧しいのになぜこんなに強く生き生きとした目をもっているのだろう。そこには、それまでの私は見たことのなかったような、最も基礎的な命へのコミットメントがあった。彼らは今日を生きることしか考えていない。「生存」という目的があり、最も大切なことにしか焦点がない。私は、そこまで根本的に命というものを抱きしめたことはあったのだろうか?私の目が、あれほどまでに輝きを持ったことはあるのだろうか?

また、彼らはきれいに整頓された文化の私たちには難しい、恐れを知らぬ生き方をしている。彼らは“汚い姿”であることや社会的のけ者であることを一切恐れていない。自分が自分で在ること、自分に与えられた状況をフルに生きることしかしていない。なのに、こんなに恵まれた環境で暮らす私たちの方が自分自身の在り方を受け入れられなかったり、人に嫌われるという恐れを持って生きているなんて、本質的にどっちの方が貧しいのか、考え直したくなる。